⒉ 「来談者当人の観察主体を無視する」=『我と「それ」』の「それ」(=客体=“object”)扱いをする「まなざし」を内面に取り入れさせる治療者は、来談者当人の「主体性のある学び」をできなくすることによって、制圧してしまう。
⒊ 来談者の観察主体を手放させようとする治療者の言う “I’m with you” は「私は(張り付いて)監視し、隠れ虐待、心理操作、集団ストーカー、薬物による操作…すべてを駆使して、あなたの観察主体をなきものにする」という「なんちゃってラポール」しか意味しない。
⒎ 来談者を制圧する「なんちゃって治療者」の「まなざし」は、「見たいものしか見ないようにする人たちの住む世界」を構成するものゆえ、元からPTSD否認=社会病理を内包しているため、来談者の「人生の一コマに観察された状態像」を「〇〇障害」として固定する(←スタンフォード監獄実験パロディ。やられた実例がミッキーくんやドナちゃん)。
『<原発のない国へ 基本政策を問う>(6)「教育」とは名ばかりの宣伝・洗脳』
| げんぱつニュース
https://ameblo.jp/syuukitano/entry-12391829694.html参考:
”ニュージーランド青年拘束死→鹿児島レイプ精神科医、稲田朋美→江崎鉄磨”
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12299522651.html皆さまも、お大事に。