安立医師(←被告)が薬物混入を全面的に認めました。
しかも、病識がないから必要性が有ったとも書いている。
ちなみに被告が私には薬物を混入されているという妄想があるとしていましたが、
それも妄想で無く事実だと認めました。
流石に被告代理人に、本当に被告本人がこんな事を言っているのか聞きましたが、
私は被告の代理人でありそれ以上でもそれ以下でもないとの普通の返事でした。
今まで誰も信じなかった事実を、なぜか本人が認めました。
これで裁判はほぼ終了したと言えます。
後は、裁判所から私への審問が有るのと、私自身が陳述書を書くのと、
母の異常な妄想の更なる証明。
https://ameblo.jp/ko-amb/entry-12392510331.html | 虐待として、健常者に無診察で精神疾患を持つ家族を騙して飲まされた抗精神病薬の後遺症で裁判中。遅発性ジストニア被害者です。
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https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12391827991.html皆さまも、お大事に。
普通のお巡りさんが、「妄想」っぽいと感じて、殺人のあとに出頭した女性を追い返してしまったというのは、PTSD現象の学習ができていれば、避けられたと私も思います。そういうわけで、こちらに書きます。
(1)「妄想」かどうかは、現場に行って調べてみないと判らない。
まず、これだけは全部の司法関係者、警察関係者が共有すべき事実。
(2)神田橋らが立てた発達障害論=仮説は、検証可能な科学的仮説ではないという意味で「妄想」でしかない上に、来談者の人格無視をして初めて可能になる「来談者制圧」解決法の実践だった。だから発達障害論では、誰も更生できない( http://bit.ly/rehabilitare 参照 )。その「妄想」を刷り込まれて、T4作戦パロディとしての大量殺人を実行したのが植松聖容疑者と言える。
(3)ドーキンスが「神は妄想である」と書いたのは、「神は死んだ」の二番煎じで注目を浴びようという広告代理店的なプロパガンダであった。哲学者としては二流ゆえ、ヒトも含めて生き物は「利己的な遺伝子」の “vehicle” だと主張する社会ダーウィニズムの二番煎じによって、アングロサクソンのプラグマティズムを人類の福祉よりも上に置くことを正当化しようとして、半分は成功した。
利己的なのは利己的な遺伝子の本性であり、当人の責任ではなく、力あるものが他のものを制圧したり食いものにしたり殺害したりすることに何の問題もないという「強欲資本主義」=「新自由主義」を地球レベルで展開できるように世界政府を形成する=グローバリズムにつながる。そのような人類の地球村では、個人がニッチを形成して生き延びる権利=人権を認めない。
ドーキンスが展開した言説は、自然科学的な思索の結論ではない。自然科学は、自然科学で確認できるプロセスを上手く使って(観測者の主観から独立した)観測や測定ができる対象しか研究しないから、神さまがどうこう言うのは自然科学ではない。原発利権で原発再稼働を進めることが「科学的」でないのと同じことだ。アングロサクソン利権で「グローバル・スタンダード」を決めようとすることが「科学的」でないのと同じこと。
ドーキンスが展開したのは、オーギュスト・コントが展開したような実証科学としての社会学でもない。コントの社会学は、現象学的な観察をベースにして展開されており、有名な例を再度、孫引きすると、個々人が当人の歴史的身体に到来するものを思惟した結果、歴史上、観察される社会集団の「外部」に「神」という概念が形成される社会現象がある…などの社会科学的な知見を広く社会で共有して、人類の福祉に資することを目指す学問である。
要するに、ドーキンスは、人類の福祉よりも上に、アングロサクソンのプラグマティズムを置くことを正当化しようとしたプロパガンダ要員です。人類レベルのPTSD現象の嵐が吹き荒れるなか、「利己的なのは利己的な遺伝子の本性」であることにして、黄色いサル( http://bit.ly/AsiatischeAffe )は殺しても罪にならないことにしたのです。このことは、kyupin医師が巻き込まれている「アングロサクソンの妄想性障害」と根は同じ「妄想」です。実証科学としての社会学を支える現象学を進めれば、「神が妄想」なのではなく、ドーキンスや、神田橋ら&kyupin医師らが「アングロサクソンの妄想性障害」で出てくる「妄想」を世界に向けて撒き散らし、頭が弱いNemucoさんも巻き込まれてしまいました。植松聖容疑者も巻き込まれて「障害者を殺せば社会のためになる」という「妄想」を抱いてこそ(英雄気取りで)大量殺人を実行できました。
ところが、香山リカ教授は、植松聖容疑者が「障害者を殺せば社会のためになるという「妄想」を抱いてしまったこと」を認めず、あれは「思想」だと主張したので、心理職としても精神科医としてもPTSD診断ができないし、診断できないから治療もできないことを露呈しました。それ以前に、「新型うつ」は、軽い人格解離を伴うPTSDであることをS先生が指摘して治しています( http://bit.ly/Ssensei )。自分が良心を解離していることさえ自覚できないため、
「理不尽なことも含めて、人道的に対応するのが学問の役目」
というとき、自分が人道的に対応していないから、学問を進めることができていないことも自覚できないで、大学教授をやっています。人道的に対応しようとしている人であれば、別に国家資格の医師かつ大学教授ではなくても、被災者のPTSD症状をバッシングするように大衆を煽る記事を日経に投稿したり、東京へのオリンピック誘致が決まった後、浮かない顔をしている来談者に「好きじゃないんですか、オリンピック?」と、いきなり心理操作をかけて制圧したことを自慢する記事を毎日新聞に投稿したりはなさらないでしょう。セルフネグレクト強要を受容するように誘導して、PTSDを悪化させるようにしているのが香山リカの芸風で、それでは、心理職としても精神科医としても、儲かって儲かって仕方ないでしょうね、治りませんから。商売上手とは、このことですかね? 本も大衆がやりたくなるような「バッシング」を煽れば売れることが確認できているので、バッシング本を次から次へと出して、印税収入もバッチリです。
「理不尽なことも含めて、人道的に対応するのが学問の役目」なので、彼女は、もう学問をやっていません。ペダンティックであるばかりです。セルフネグレクト強要を受容するように誘導して、PTSDを悪化させるようにしているので、教育的でもありません。
http://ptsd.red/2017/03/30/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%A4%A7%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%97%E3%81%AEptsd%E8%A7%A3%E9%9B%A2-%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%94%9F23%E3%81%AB%E6%9C%89%E7%BD%AA/#comments
に翠雨先生がお書きのように、
「理不尽なことも含めて、人道的に対応するのが学問の役目」です。
=理不尽なことも含めて、人道的に対応するのが学問の人類社会的な機能です。
そうして初めて
人類の福祉を進めるためにのみレーゾンデートルがある大学や研究所になり得るのです。ペダンティックではダメで、ディレッタントは良いというのは、そういうことですね。私の師匠が常々言っていたことです。