親を見て子は育つ…ということで、
ママを見て、ママに似た尾木ママ先生=個性化という結果になりました。
元記事:
コメント欄:
国鉄マンの引越しが多いご家庭で大変だった話もあります。子ども集団中の自然発生的なパワーポリティクスです。
子ども集団の自然発生的なパワーポリティクスを操作するために、ティーチャーズペットとスケープゴートを決めてしまう「プロ教師」もいて、それではマズい件については、他所さまのブログ記事:
『学級集団づくり及び児童理解の手法』についての三つの結論
| 学校現場目線からのメッセージ~教師たちへの応援歌~
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12392464342.htmlにコメントしました。
親を見て子は育つ…という話、
兄にアドラー心理学の本を渡した際にも(私が)しました。そこまでは、大概の人と話が通じますが…その先ですね、問題は。
尾木ママ先生のブログ記事:
に、以下のコメントを投稿しました。
- 「わが子が何かしらしくじった時」⒈ まずは「しくじった」という判断が妥当であるか?…を親子で経緯を振り返ってみる。⒉ 本当に損害が発生したため、「しくじった」と判断せざるを得ないとなったら、発生した損害について反省し、起きてしまったことは取り返しが付かないものの、外傷体験を病原化しないために何ができるか?…親子で検討して実行する。⒊ セレンディピティが拾えるかも知れないので、気分転換をして「別人」になった気分で現場に戻る。⒋ 失敗学を進める。⒌ 現象学を進める。…というふうに、
①親は、親で自分の観察主体を手放さない。
②養育者として、子どもが自らの観察主体を手放さないように配慮する。
③親子で各人の観察主体を手放さず育てる。
そうすると、初めから「叱る」という感情の流れにはならず、家庭内権力者の悪を(叱られた側が)自分の内部に取り込むこと(©︎末田耕一)は避けられることでしょう。
家庭内権力者の悪を(叱られた側が)自分の内部に取り込むこと(©︎末田耕一)を避けるには、親が家庭内権力者として子どもを裁く=叱ることをやめて、「大丈夫、大丈夫」とニコニコして子ども当人が「ま、いいか~」とスルーする…というのも「あり」かと思います。特に親が家庭内権力者だと未必の故意で子どもを殺害しようとするケースがある(末田耕一、2004年5月、広島医学)ため、親が家庭内権力者にならないことは大事です。
どうも、お邪魔しました。2018/07/30 11:55:20
コメント No. 5から抜き書き:
「叱る」よりも「どうしたら同じ失敗をしないか」を一緒に考える事が大事かと。その時も責める態度ではなく許容する寛容さが求められる気がします。
下手すれば躾は虐待ですからね。
![]() | ヌートリアのおっさん(34) (@OssanBlackRX) |
元小学校教諭のうちの母に今回の文科省の事件の感想聞いてみたら 「10年くらい前から文科省がおかしいのは分かっとった。降りてくる通達がことごとくおかしいのばっかり。例えば『道徳授業の成果を数値化して上に報告しろ』とか言うのもあったわ。数値化できるかそんなもん!」 ということであった |
皆さまも、お大事に。