神田橋医師らは、折衷案とも言うべき仮説をお出しになりましたが、
⒈ 科学は科学哲学なしに成立しない。
⒉ 系統を考えない分類は間違える。
⒊ 科学的な仮説を立てるのであれば、どうしたら仮説の真偽を検証できるか?…を論じ得る科学哲学の裏付けがないとダメ。
という3つとも外していました。
結局、“explanatory science”(=説明的科学)の仮説には目もくれずに臨床現場で専ら “descriptive science”=観察&記述に徹した末田耕一医師が来談者中心の面接によって、来談者が「意味のある言葉」を発するようになるアプローチがあることを見い出したのです。その臨床知見によって逆に、これまでの心理職や精神科医の多数派が「なんちゃってラポール」状態であることを露呈してしまいました。つまり我々=人類社会の構成メンバーは、人類史が「PTSDの世紀」に突入した=人類社会がフラット化した社会現象を事実として共有せねば、現在、医療がぶち当たっている「バカの壁」(©︎ 養老孟司)=「PTSD否認」状態に対処しようがない…ということです。
「PTSD否認の医療は
本当に罪ですよ」©︎ 翠雨先生
”たとえば「命の教育」……”
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12390865159.html
実は、兄がアドラー心理学で止まっている身体医なので、誠心誠意、患者さんの不定愁訴を聴いて、患者さんは「言いたいこと全部、聴いてもらって、気持ちはスッキリ」でも、実は身体疾患の診断に意味がある情報は殆ど含まれていないわけです。しかしながら、「言いたいこと全部、聴いてもらって、気持ちはスッキリ」ということは、気がすんで精神衛生にはプラスですよね。でも、アドラー心理学で止まっている身体医だから、無意識の病=PTSDは治せないし、泣くに泣けない状態に陥って緑内障になりました。なってしまったものは後戻りできない(←歴史に “if” はない)という意味で仕方ないので、「泣くに泣けない状態」(←心因)に対処して緑内障の悪化を緩めつつ眼科医で身体的な処置=“treatment” を受けるのみです。
“treatment”、“healing”、“cure” については
https://bit.ly/inDieKur2nehmen
に書きました。
「アドラー心理学で止まっていると、無意識の病は治らない」という点がキモです。
経験的によく知られた現象ではあるが、これを現代の科学は説明できない。←実証を経た(=エビデンスがある)説明的科学が追いつくのは遅い。
「人間」の「心(無意識)」の複雑さを説明するには現代科学(←説明的科学)が幼稚で未熟すぎるからである。