「子ども達のいうことには、さんざん
友だちの家でやらせてもらったので
迷惑かけたようです」か、
どうなのでしょうね?
愚息が小学2年生のとき、周囲でゲームが流行っていたので、愚息も欲しいと申しました。そこで「お小遣いの貯金で買える範囲で自分で買えば良い」と申しますと、近所の兄貴分に相談して、その子の古いニンテンドーDSを(小遣いの貯金から)千円で譲り受け、ソフトウェアも中古屋で百円から五百円くらいだから小遣いで賄える…という案を出して来ました。それで私は「中古DSを千円で売ってくれる子のお母さんが『いいよ』と言うのであれば、そうして良い」という返事をしたところ、あちらの母上は子ども同士で売買するベきではないというご意見で、お流れに。
結局、誕生日に本体だけプレゼントして、あとはカメレオンクラブという中古店でアレコレ買いました。私も一緒にゲームしました。ニンテンドーDSiになってからは、Mac経由でインターネットに繋げて、デジタルデバイドを緩和することもできたし、『メイドイン俺』でAI入門、『星空ナビ』やDSiで引ける辞書を買ったり…なかなか良かったです。
…と思っていたのは私だけで、ニンテンドーDSiを使っている私は「ゲーム中毒=キチガイの一種」だったようです(?)。
名古屋大学U研のMacでテトリス(←ロシア人が作ったとかいう)やっても誰も見咎めなかったし、ミュンヘンに行ったら最初に言われたのは「日本から来たの!ソコバン面白いよね」「え?ソコバン?何それ?」と返したところ相手は落胆。「倉庫番=Sokoban」でした。「交番=Koban」で「小判」と区別されていないことを忘れていたので、「倉庫番=Sokoban」が好きなドイツ人科学者を落胆させました。ちょっと手伝いに行ったソフトウェア会社のボスは「たまごっち」持っていたし、皆、大人も普通に遊んでるよ…と思った私は世間さまから浮いていたのでした。とほほ…
要するに「あなたの常識は私の非常識」なので仕方ありませんでした。
すっかりニンテンドーのお世話になりWiiも導入したので、Wiiがない近所のお子さまが『やらせて』と来るので「あーいーよー」と遊んでもらいました。そのなかには「子ども達のいうことには、さんざん友だちの家でやらせてもらったので迷惑かけた」と親御さんに苦情を言ったお子さまも居たかも知れませんね。でも、「ウチの子にWiiをやらせないでください」という苦情は私には来なかったので「まあ…いいや」と思っています。大雑把すぎでしょうか?
ニンテンドーのハードウェアで遊べる音楽ソフトもスポーツソフトもあって便利でしたけどね…ゲーム脳なのですか? 世界中にいるX線天文学者にも結構、ゲーム脳がいるのでしょう(?)。それって意味がある「診断」ですか?
本業に差し障るほど何かに時間とエネルギーを投入してしまうには、人格のプチ解離が必要です。
ですよ。中国の皆さまも、ゲーム依存症=人格のプチ解離を起こしている若い人々にスタンガンで(?)電気ショック(?)というアプローチは不毛ですから、おやめになるようお奨めする次第です。
皆さまも、お大事に。