第一義に医療活動に邁進していただきたいものだ。
関連コメント:
に あ*=franoma より
発達障害バブルは、福島原発事故による身体的なダメージによるハンディキャップも
変なふうに解釈して継続されるだろうと予測されるので困ったことです。
「発達障害論」批判がされるので、
「神経発達症」と言い換えてPTSD否認を続けようとする動きもあるようですね。
『消したい』
| 発達ゆっくり珍獣息子&1歳怪獣娘のママ備忘録
https://ameblo.jp/tsubaki-princess/entry-12432504628.html
「神経発達症」バブルということにしてもPTSD否認を続けることに違いはないのですが、当人なりに発達するのを見守って支えましょうという点においては、前よりマシではあります。
以前、三田医師が報告なさった男児のケースは、飲食物に気をつけていたのに東京都内の清掃工場風下に住んでいた間は好中球数の減少が見られ、背が伸びなくなってしまったものの、関西に移住したら好中球数も回復し、背も伸びるようになったというものです。もしそのような身体的ダメージを受けながら関西への移住や計画的な保養など実際的な安全確保を追求しないのであれば《児童虐待》ですよね。お子さまはPTSD児になるわけです。
発達障害児というのをやめて「神経発達症」と呼ぶことにしても、《児童虐待》をなかったことにするのは間違いです。
…と主張すると、放射能フォビア扱いしてくるのは核問題PTSD否認=社会病理です。認知の歪みが観察されるのは誰なのか?…考えましょうと呼びかけると「マウントしている」と受け取る人もいるようです。2011年311当時、愚息は小学生で考え方が素直ゆえ「逃げる(←移住する)か闘う(←被ばく低減の努力を続けつつ全人的に健康観察を続け、場合によっては保養や移住を考える)か」各人が自分の歴史的身体に相談して自分で決めるしかないのだと割と直ぐに理解できました。正常な警戒心を手放して、被ばく低減の努力をしないのは間違いです。
人生を組み立てるのに不可欠な「答え」を見つけるために「学ぶ」ことは不可避ですよね。その際、教材になり得る本を私は買い集めたのですが、やたらとシーベルト換算ばかり説明する学習院の先生と、たまにイノシシ肉のサンドイッチを食べても死なないと主張する東大の先生の本は、役に立たないので却下されてしまいました。
当人が《観察主体》を手放さず、主体性のある学びを進めているのに、変な大人たちが不当な介入をしてくるのは人道上の罪です。PTSD発症リスクを負わせた一連の行為は「攻撃」と呼ぶのが妥当であり、「被害妄想」ではありません。世界観が違うから文化摩擦が起きているのでもありません。価値観の相違とか生活スタイルの問題でもありませんね。プライドの問題でもありません。
プライドの問題と勘違いするのは、
科学者のいうデタッチメントができていないからです。早野先生はデタッチメントができますので被ばく線量の推定を3倍まちがえましたと訂正して叩かれまくっていますが、科学というのは間違うものですから間違った結果を鵜呑みにして健康被害を受けた人が出ても《なかったことにする》ことはしません。3倍まちがえましたと訂正できるのは、科学者としての誇り(←本来の意味での pride)があるからで、論文を取り下げろというのは人類史/人類社会で通用しません。3倍も間違った…というのは解離性不注意です。一桁間違ったら「何か変…」と公表前に誰かが気づいただろうと思いますが、2〜3倍だと気づくのは困難です。「わざとだ」と言う人もいますけど、そういうことはないでしょう。
“honesty & diligence”
ですから。数学ガールズの著作がある結城浩さんが「生産的」であるために個人が守ると良いポイントを指摘した物理学者ファインマンの言葉を紹介するツイートを紹介なさっています。
https://twitter.com/ProfFeynman/status/1026517593870360582
プライドを捨てろという勘違いについては、以下のコメントに書きました。
http://ptsd.red/2014/01/17/%e6%9c%88%e7%b5%8c%e5%9b%b0%e9%9b%a3%e7%97%87%ef%bd%90%ef%bd%94%ef%bd%93%ef%bd%84%e6%b2%bb%e7%99%82%e8%96%ac%e3%81%a7%ef%bc%93%e4%ba%ba%e6%ad%bb%e4%ba%a1/#comment-17721
皆さまも、お大事に。