他所さまの記事
にコメントできたので記録。アメブロさん、ありがとうございます。
『自爆元自衛官。妻娘に殺されそうになった。
佐世保女子高生父親。| メリーさんのブログ
- 「家族内で起こると、
なかなか警察には届けにくい」
というよりも、
警察に届けても仕方がない…状況が多いと思われます。
私の元配偶者が刃物をチラつかせて
私の兄まで恫喝するようになっても
警察に相談して何がどうできるということはありませんでしたから、私は、その段階では、息子が「オヤジが可哀想だ」と言うから事情を聞きたいと警察から言ってきていると兄が言っても、「今、話して何とかできるような事情はない」とお断りしました。私の元配偶者は、同郷の白人たちから心理操作をやりまくられていたのではないか?…と推察します。息子も私も「彼ら」から「おもちゃ」にされてきましたから、そう推察します。じっと耐えて、誰の動きが不自然なのか?…十年くらい観察して、出口が見えてきましたけど、今も安全確保が困難です。どうしても、私どもの妄想として済ませたい大学関係者が複数いるようですから。
PTSD構造=PTSDの震源を生じさせる構造は、単純です。
リスクを負わされる人と
ベネフィットを得る人とが
別だということです。
「発達障害論」ラベリングも
子どもにリスクを負わせ、
教育や養育、監護に当たる大人が
ベネフィットを取るためにやられてきました。ロンドンに忖度して、日本人だけはホームレスがPTSDではなく「発達障害」ということにしたわけです。医療・福祉・教育従事者として良心を解離していると言えます。が、私は単なる物理学者なので、誰しもが頭の悪い=認知機能の歪みが大きい精神科医たちの話を鵜呑みにして済ませてしまう状況が続いています。2016/10/24 09:34:40
へのコメントにお返事:
- >晴彩(はるさい)さん
仰るとおり、溜飲を下げて終わりではダメですね。
「(アベ政治で露骨な税金の私的流用に対して)納税しようという気持ちを削がれてしまう」「財務省の影響力が低下する」事態を財務省が懸念するように皆が追求するだけで溜飲を下げず、日本人の公民権運動を進めることこそが目的ということを忘れずにいて、
納税者一揆デモに参加なさったら、
緊急事態条項について、他のデモ参加者と話してみたら良いかも知れませんね。
自分で話を進める自信がなければ、スマホなどで
(1)晴彩さんの記事や付いたコメントを提示して
「あなたは、どう思う?」
と、まずは聞くだけで良いのです。
(2)いろんな見知らぬ人たちの話を聞いて、あとでまとめて晴彩さんの記事にコメントとして投稿しても良いし、
(3)相手本人が自分も一言書いてやろうという気持ちになったら、そうすれば良いのです。
コメントありがとうございます。2018/02/16 11:21:07
にコメント No. 5 投稿できました。アメブロさん、ありがとうございます。コメレスは元記事でご覧ください。
- 参加者全員を把握して弾圧するわけにもいかないでしょうから、見知らぬ参加者どうしで話せたことが成果でしたね。
いつも記事をありがとうございます。2018/02/17 11:10:54
『今日はバレンタインデー』 | あ~どうしたものか
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12352678349.html
に「子孫を残すこと」に関連して、
ドーキンス批判、
“maintain”、“sustainable”、“heritage” をキーワードにして、西部邁氏の遺言について書きました。
我々地球人は、地球という星(=惑星)を継ぐものになりましょう。
♡お♡ま♡け♡
皆さまも、お大事に。
アメブロ記事
https://ameblo.jp/raingreen/entry-12353415344.html
を拝読し、
「世間には
自殺に至らなかった生徒も
潜在的にたくさんいて
PTSD発症リスクに苦しんでいます」
ということで(長大になるので)こちらに書きます。
『他人への偽善、隣人への無関心』 | 気まぐれ徒然日記
https://ameblo.jp/niou-blog/entry-12353442410.html
という記事がありました。
長くなるので、本文は上述のブログ記事をお読みいただくことにして、そのブログ記事を自分の子どもが書いたと仮定して、コメントを書いてみました。
「僕は、見て見ぬ振りが上手くなった」のではサバイバーズギルトを負いますので、再考をお奨めします。
「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀ですから。
…という点がキモです。
コメント内容:
「大人になるって、しばしば”大人しくなる”という風に使われるみたい」ですか?
本来の意味では、「軽率に動かない」ということではないでしょうか?
「及ぶ範囲でしか、手を差し伸べてあげられない」のは当然ですが、
「手を差し伸べる」という表現を使うのは、
いわゆる「メサイア・コンプレックス」で動く状態ではありませんか?
相手と自分が同じ人間として認め合っている状態であれば、
「どうやって手を差し伸べることができるだろう?」ではなく
「今、私にできることは何だろう?」という問いになるでしょう。すると、「今の自分に介入する余地があるのか?」ということになるわけです。したがって、「今の自分に介入する余地がない」ならば、冷静&理性的に(=「介入」は我意を通すことにしかならないと)判断して、介入を断念します。それができないようでは、「我意を通せば、道理が引っ込む」ことになり、小手川ゆあ( https://bit.ly/2ocIBq3 )『Anne・Freaks』(2000-2002年、「月間少年エース」、角川書店)
https://bit.ly/2CpAxr2
に出てくる女性警視正のようになってしまうでしょう。それが誰であれ、
「我意を通せば、道理が引っ込む」場合、
我意を通す人物は、集合的無意識の無思想を体現しています。なので、第三者から見ると「クルクルパア」なのです。
溺れている人に対して
「今、私にできることは何だろう?」という自問に「自分には介入する力がないので救援を呼ぼう」とならず自分のその時の歴史的身体を活かして「介入する余地がある」という判断であれば、
溺れている相手に手が届くなら抱き上げるとか手を引張って岸に誘導するとか、手が届かないなら救命具を投げてみるとか、惻隠の情で自ら飛び込んで救命を試みるとか…ということになるでしょう。
冒頭で例に上げられたお子さま相手の場合は、
「ちょっとして振り返ると親に怒られてるのが目に入った」わけで、
(1)惻隠の情によって(=無我の境地で)駆け寄り、「不躾で申し訳ありませんが、私の要らぬお節介のせいでしょうか?」と状況を訊ねる。あとは、お子さまが理不尽に無闇に叱られないように、「今、私にできることは何だろう?」と考えつつ対処する。
(2)無我の境地で駆け寄るという行動が取れなかった場合、それとなく近くを通り、本当に自分の要らぬお節介のせいで、お子さまが叱られているのか?…解る範囲で聞き耳をたてる(←相手のプライバシー権の侵害)。
(3)「自分の要らぬお節介のせいで…」なのか否か(相手のプライバシー権の侵害をしつつ)知りたいのは自分の「エゴ」であることを自覚して、起きた現象全体を考察して現象学を進める。
(4)自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“Introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生が組み立てられる。
こうした正常なプロセスを経ず「加害恐怖」に陥るケースは、未治療PTSDです。健康な人は、自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“Introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生が組み立てられるものです。社会から評価されるか否かは無関係です。成り上がりも成り下がりもしないのが道教の極意です。
「僕は、見て見ぬ振りが上手くなった」のではサバイバーズギルトを負いますので、再考をお奨めします。
「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀ですから。
人間らしい人間(←解離していない全人)が見て心を痛めるしかない状況は、そこにPTSD問題があるからです。素直に考えれば、心をいちいち痛める人がバカなのではなく、心をいちいち痛めることができることは、無垢な心を失っていないだけですから
「大人になれよ」
という勘違いには流れません。
「だからといって、見捨てることもできない」のは、人間らしい人間(←解離していない全人)が見て心を痛めるしかない状況=PTSD現象の最中であることを示しているだけです。心を痛めることがないように「ハッピードラッグ」路線に誘導するのが “Comfortably Numb”(©︎ Pink Floyd)ふうに「無感覚」に持って行く https://bit.ly/DrKyupinParanoia はじめ晋精会 https://bit.ly/ShinseikaiT4 の皆さま&晋精会を批判なさらない https://bit.ly/DSMfaction 「発達障害論」詐欺の神田橋医師らや「愛着障害」詐欺の飛鳥井望、「アスペ」にオキシトシンの笠井清登教授らを含め東京大学の精神科医だけでなく心理系や薬学系も巻き込んだ
https://bit.ly/menuForJap
です。
ヒトが出てくる現象学は必然的にPTSD現象学になります。
「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀である事実を共有して、
自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“Introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生を組み立てるなかで、
世界人権宣言に則り、
「誰の子どもも殺させない」ために、
「今、私にできることは何だろう?」と自問しつつ最期の日までサバイバルしましょう。皆が平穏死を迎えられるように。
___コメント内容おわり___
なお、
全人類に人格権を(←世界人権宣言)ブログは、
http://franoma.jugem.jp/
「https://…」でないと気持ち悪い人は、以下のリンクからどうぞ。
https://franoma.jugem.jp/
平穏死ブログは、
https://blog.goo.ne.jp/franoma/
に書いています。
“Comfortably Numb”(©︎ Pink Floyd)ではなく、“Comfortably” ではない “Numb”(©︎ Linkin Park)を表現された方は、自ら “death by hanging” を “acting out” =「解離はトラウマの影」ということで(他害ではなく)自害=PTSD解離自殺なさってしまいました。「うつ病」ラベリングでなければ、そういう悲劇は予防できたので、
https://bit.ly/NishibeSusumuSuicide
を機に「うつ病」ラベリング復活を狙っている人々は、香山リカ立教大学教授はじめ「害悪心理学」に陥っています。
「見捨てることもできない」という口実で攻撃してくる「なんちゃって専門家」をブロックし、見放すことが不可欠です。