![]() | 富良野まりえ (@franoma) |
#道教 とは「専ら道を説く」ものです。#広辞苑 にも載っている 漱石のいう「 #強者 に都合よきものが道徳の形にあらはれる」 #道徳 ではありません。「 #PTSDに対処せねば倫理は守れない 」という #現象学 の知見を共有し「#解離する特権は誰にもない」ことを相互に認め合いましょう。← #共生の作法 |
翠雨先生に業務妨害を続けていらして裁判所でも虚偽証言を続けておいでの女性心理職は、スクールカウンセラーとして社会のなかで居場所を見つけて、「発達障害」ラベリングされたお子さまたちを食い物にして「私はこれでいい」という自己肯定のなかに生きていらっしゃいます。それは他者の人生をスポイルまたは破壊する人道上の罪ですが、「居場所」があるし、自己肯定もできているので、結構…ということには出来ません。
「今起きている人生の危機をどうしていこうかと考える時間」が与えられるのは、PTSD診断によって「病気」とされるからこそ、「病者の(社会的)役割」が与えられ、認められます。
「病気になったことに責任はなく、各依存症になったことを非難されることもないが、回復(癒されるため)の義務と責任はある」点を外さず治癒への道を歩むことが「病者の(社会的)役割」です。←医療社会学
「病者の(社会的)役割」を果たしつつ、
義務教育年齢であれば、教育を受ける権利があり、保護者は(親権や監護権を行使するにあたり)教育を受けさせる義務を負います。
「解離する特権は誰にもない」ことを互いに認めること
=世界人権宣言の精神を守る姿勢を共有することです。
「解離状態でデタラメをしつつ周囲に受容するように強要する特権は、誰にもない」ことをidthatidさまが理解できるようにお祈りします。
解離してしまう人は、教育・福祉・医療などの現場では「働く権利」が元々ありません。教育・福祉・医療を受ける相手に危害を加える怖れがありますから。そのような人物を現場に出した場合は、任免権者の責任が問われる事態なのです。スクールカウンセラーの場合には、教育委員会ですね。
kyupin先生の自己正当化が観察されるブログ記事
http://ameblo.jp/kyupin/entry-11918102379.html
のテーマは「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」で
「正しいと思ったことは信念を曲げない」と言うバランスの悪さは、そのような考え方の人々が、反社会的新興宗教など特殊な集団から脱出できない原因の1つにもなっている」というのは、kyupin先生が「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」とラベリングなさる根拠は、「投影」で、そのままkyupin先生ご本人に当てはまります。すなわち、
「『正しいと思ったことは信念を曲げない』と言うバランスの悪さは、そのような考え方の人々が、反社会的PTSD否認を続ける特殊な精神病院協会から脱出できない原因の1つにもなっている」
と読み替えて差し上げると良いでしょう。
こういう状況で、精神科医の下で働く公認心理師になって喜ぶというのは、心理職の自殺行為です。