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https://ptsd.red/2018/03/05/サイバーストーカー裁判最高裁決定/#comment-18611
香山リカさん@立教大学教授は、2001年911から後、変になってしまった点、我が家のオヤジと同じですし、ストーカー犯罪、“隠れ虐待”とセットにした心理操作、集団ストーカーの企画&実行をなさる犯罪者という訳ではないので…ご愁傷様と思います。でもね、[専門家]なのですから、あまりデタラメなことを書き散らしたり行動化されたりしないほうが良いと我が家のクソガキが衷心から心配しておりました。バカで済ませないで、ちゃんと批判してあげれば[治る]そうです。皆さまで[西田幾多郎]哲学の研究を続け、DSMとはサヨナラしましょう。
香山リカさん@立教大学教授は、2001年911から後、変になってしまった点、我が家のオヤジと同じですし、ストーカー犯罪、“隠れ虐待”とセットにした心理操作、集団ストーカーの企画&実行をなさる犯罪者という訳ではないので…ご愁傷様と思います。でもね、[専門家]なのですから、あまりデタラメなことを書き散らしたり行動化されたりしないほうが良いと我が家のクソガキが衷心から心配しておりました。バカで済ませないで、ちゃんと批判してあげれば[治る]そうです。皆さまで[西田幾多郎]哲学の研究を続け、DSMとはサヨナラしましょう。
“歴史的身体”(©︎西田幾太郎多郎)を真似して一時期、 “歴史的心身” という表現を使ってみていましたが、今後、使うか否かは思案中です。
註)誤変換です。
(誤)西田幾太郎 ←太郎さんがいっぱい
山本太郎とか奥田太郎とか小谷太郎とか
(正)西田幾多郎 ←男児が幾多
謹んで訂正します。
“心身” と書けば、
“心身景一如” 論(©︎ kmomoji1010)
“心身霊一如” は殆ど同じことを言ってはいるものの、後者の表現を使う場合には、 “ātman animated by soul” の ātman は Brahman とセットで考える必要があり、Brahman はローカルな[風土](← 現地人の[平生底]を支えるリソース=社会資本)に依存していることに気づかないと、なぜ “核問題PTSD否認=環境レイシズム” と言えるのか?理解できないから
https://bit.ly/ToiletB の流れに抵抗できません。それとは対照的に、黒田信昭の “心身景一如” は、日本の風景を愛する生物個体は何であれ体得しており、具体例を挙げれば、猫島のネコさまも体得しているし、食べるに困り海を泳ぎ渡ったシカの群れも体得していることです。要するに、割と最近まで「女子ども」は “human being” に数えられていなかったことや今でも[胎児]は “human being” に数えられておらず、出生した時に初めて[人格権]が認められる…という法律上の不備について[法哲学]から論じる際に、有効なのは “心身景一如” 論だということです。それは、さておき…
心=内面の自由(←良心の自由)
身=身体の自由
を明示する表現を目指しています。それが “歴史的身体” の sanctity を蹂躙しないため必要不可欠だからです。ここで sanctity は dignity とは違うことにご注意ください。これが理解できる愚息は、とある “かもがわ出版の本” と batterer なんちゃらいう本を却下しました。どうして年端のいかない子どもが却下するのか?…心ある人は考えてみてくださいね。
> idthatid さま、どうでしょう?
> 先生どうでしょう?
“心ない” 人は(初めから子どものことなど)どうでもいいから「却下したのは如何なる経緯だろうか?」と一緒に考えて社会に於けるPTSD現象の嵐を鎮静化するように出口を探ろうとはなさらないでしょうね。
idthatid さまが初めから翠雨先生に[投影]しておいでのことは、ご本人のブログに書いてあります。
https://ameblo.jp/idthatid
…と思ったら[証拠隠滅]をされていました。
“心ない人物” とか書いておいでだったので、「やれやれ…それは貴女のことでしょう…orz」と思うのが普通の人ですよね。そもそも、[良心の解離]なくしてストーカー犯罪者とスクールカウンセラーを長年、兼業することは不可能です。
“ストーカー犯罪者とスクールカウンセラーを長年、兼業” のGoogle検索結果URL短縮形:
「子どもにとって「安全な基地」であること、
そのなかで子どもが自らの「自己」を充分発達させることができること
これが健康な家族の機能であるとされています」
これは、PTSD現象学的な表現をすれば、
「人格無視をやられがちな
(0)子ども
(1)有色人種
(2)女性
が先祖代々のPTSD負の連鎖によって「トラウマの再演」をせずに済むように
「安全確保」ができる人的物的環境であること、
そのなかで、家族メンバー個々の歴史的身体が発生し、進化と終焉を迎える場(=field )」これが健康な家族生活の現場でしょう。この件は「フェミニズム」の問題ではないと昨日、コメントを投稿しました。
我が家のオヤジがDV化して自滅していったのは、
我々日本人一族が「アスぺ」だの「ADHD」だの汚い血が流れた「黄色いサル」( http://bit.ly/AsiatischeAffe )だからではありません。オヤジは、
D. M. Allen, 2010,
“How Dysfunctional Families Spur Mental Disorders: A Balanced Approach to Resolve Problems and Reconcile Relationships (Childhood in America) ”
の一読を私に奨めたので、私はそれに目を通し、順天堂大学の越谷病院に診察に行ったとき、主治医と議論しようとしたら、主治医が遮り、もう来なくていい…ということになったのでした(爆笑)。そうして私の通院は終わりました。
この本の著者によると「アスペ」は生まれつきのもので「不治の病」扱いです。は〜アスペ〜?…勝手に決めないでくれる?…と思いませんか? ついでに、HarvardのBiermanが研究したら「ADHD」は後に「双極性障害」になるそうで、その件は、Biermanが製薬会社の支援を受けた(つまりADHDの子を薬物でコントロールして「教育」は手抜きした)結果、自己コントロールが効かない(薬物性)「双極性障害」になることを示唆しています(←ほのめかしているだけで断言はしていない)。そして、この本のキモは、「機能不全家族」が子どもを病んだ状態にするという点ですね、タイトルのとおりです。
さて、甲斐先生の記事ですか、
「子どもたちは機能不全家族を維持し続けるために役割にはまり込みそれを演じ続けることになる」
ということは、我が家では先祖代々、起きていません。
「自分自身の欲求を棚上げし、他人の欲求を自己に取り入れ、自分の欲求のようにして生きているので、自分の感情を感じることができなくなっているのです。
つまり、彼らは共依存しながら生きているので、「自己の欲望」の中身を知らなければ、自分を生きることができなくなる」
としたら、「自己の欲望」の中身など検討するのは、バカです。大概の人は単に「我意を通すこと」が「自己の欲望」の中身を検討して人生を謳歌することだと勘違いしてしまうからです。これが「機能不全家族」論の拙い点ですね。
家族メンバーの誰しもが
セルフネグレクト強要を受容しない、
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
互いに配慮することが「思いやりの原理(=“the principle of charity”)」すなわち
“caritas”(← “amor” ではない)です。
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
人的・物的環境をできるかぎり整えること
=現実的な「安全確保」に努めること
これがPTSD予防&克服への道を進むための前提です。
発達障害論者が言う「ライナスの毛布」の話ではありません。現実的な被害に遭わないように話し合うことです。例えば、
https://bit.ly/2pLDoG0
に書いたアッシェンバッハというシニアサイエンティストは心理学的なサポートをしたわけではないのです。
「専門家」ならば、
「発達障害論では更生できない」
https://bit.ly/rehabilitare
ということに気づかねばなりません。
そして、
https://bit.ly/ToiletB
の流れは「環境レイシズム」の一種であると認識し、
護衛艦「いずも」が「コバンザメ」と言われる国際情勢のなか、
海上自衛隊も現総理らの「トラウマの再演」に巻き込まれているので、
自衛官に残された道は失踪(=解離性遁走)であることを理解し、
現実的な「安全確保」をしたのち、PTSDに対処せねばなりません。
S先生の臨床知見が有効です。
どうも、お邪魔しました。
“心身” と書けば、
“心身景一如” 論(©︎ kmomoji1010)
“心身霊一如” は殆ど同じことを言ってはいるものの、後者の表現を使う場合には、 “ātman animated by soul” の ātman は Brahman とセットで考える必要があり、Brahman はローカルな[風土](← 現地人の[平生底]を支えるリソース=社会資本)に依存していることに気づかないと、なぜ “核問題PTSD否認=環境レイシズム” と言えるのか?理解できないから
https://bit.ly/ToiletB
心=内面の自由(←良心の自由)
身=身体の自由
を明示する表現を目指しています。それが “歴史的身体” の sanctity を蹂躙しないため必要不可欠だからです。ここで sanctity は dignity とは違うことにご注意ください。これが理解できる愚息は、とある “かもがわ出版の本” と batterer なんちゃらいう本を却下しました。どうして年端のいかない子どもが却下するのか?…心ある人は考えてみてくださいね。
> idthatid さま、どうでしょう?
> 先生どうでしょう?
“心ない” 人は(初めから子どものことなど)どうでもいいから「却下したのは如何なる経緯だろうか?」と一緒に考えて社会に於けるPTSD現象の嵐を鎮静化するように出口を探ろうとはなさらないでしょうね。
idthatid さまが初めから翠雨先生に[投影]しておいでのことは、ご本人のブログに書いてあります。
https://ameblo.jp/idthatid
…と思ったら[証拠隠滅]をされていました。
“心ない人物” とか書いておいでだったので、「やれやれ…それは貴女のことでしょう…orz」と思うのが普通の人ですよね。そもそも、[良心の解離]なくしてストーカー犯罪者とスクールカウンセラーを長年、兼業することは不可能です。
“ストーカー犯罪者とスクールカウンセラーを長年、兼業” のGoogle検索結果URL短縮形:
を作りました。
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iPhoneから送信
♡おまけ♡
“denied PTSD”=“racism”
そのなかで子どもが自らの「自己」を充分発達させることができること
これが健康な家族の機能であるとされています」
これは、PTSD現象学的な表現をすれば、
「人格無視をやられがちな
(0)子ども
(1)有色人種
(2)女性
が先祖代々のPTSD負の連鎖によって「トラウマの再演」をせずに済むように
「安全確保」ができる人的物的環境であること、
そのなかで、家族メンバー個々の歴史的身体が発生し、進化と終焉を迎える場(=field )」これが健康な家族生活の現場でしょう。この件は「フェミニズム」の問題ではないと昨日、コメントを投稿しました。
我が家のオヤジがDV化して自滅していったのは、
我々日本人一族が「アスぺ」だの「ADHD」だの汚い血が流れた「黄色いサル」( http://bit.ly/AsiatischeAffe )だからではありません。オヤジは、
D. M. Allen, 2010,
“How Dysfunctional Families Spur Mental Disorders: A Balanced Approach to Resolve Problems and Reconcile Relationships (Childhood in America) ”
の一読を私に奨めたので、私はそれに目を通し、順天堂大学の越谷病院に診察に行ったとき、主治医と議論しようとしたら、主治医が遮り、もう来なくていい…ということになったのでした(爆笑)。そうして私の通院は終わりました。
この本の著者によると「アスペ」は生まれつきのもので「不治の病」扱いです。は〜アスペ〜?…勝手に決めないでくれる?…と思いませんか? ついでに、HarvardのBiermanが研究したら「ADHD」は後に「双極性障害」になるそうで、その件は、Biermanが製薬会社の支援を受けた(つまりADHDの子を薬物でコントロールして「教育」は手抜きした)結果、自己コントロールが効かない(薬物性)「双極性障害」になることを示唆しています(←ほのめかしているだけで断言はしていない)。そして、この本のキモは、「機能不全家族」が子どもを病んだ状態にするという点ですね、タイトルのとおりです。
さて、甲斐先生の記事ですか、
「子どもたちは機能不全家族を維持し続けるために役割にはまり込みそれを演じ続けることになる」
ということは、我が家では先祖代々、起きていません。
「自分自身の欲求を棚上げし、他人の欲求を自己に取り入れ、自分の欲求のようにして生きているので、自分の感情を感じることができなくなっているのです。
つまり、彼らは共依存しながら生きているので、「自己の欲望」の中身を知らなければ、自分を生きることができなくなる」
としたら、「自己の欲望」の中身など検討するのは、バカです。大概の人は単に「我意を通すこと」が「自己の欲望」の中身を検討して人生を謳歌することだと勘違いしてしまうからです。これが「機能不全家族」論の拙い点ですね。
家族メンバーの誰しもが
セルフネグレクト強要を受容しない、
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
互いに配慮することが「思いやりの原理(=“the principle of charity”)」すなわち
“caritas”(← “amor” ではない)です。
セルフネグレクト強要を受容させないで済むように
人的・物的環境をできるかぎり整えること
=現実的な「安全確保」に努めること
これがPTSD予防&克服への道を進むための前提です。
発達障害論者が言う「ライナスの毛布」の話ではありません。現実的な被害に遭わないように話し合うことです。例えば、
https://bit.ly/2pLDoG0
「専門家」ならば、
「発達障害論では更生できない」
https://bit.ly/rehabilitare
そして、
https://bit.ly/ToiletB
護衛艦「いずも」が「コバンザメ」と言われる国際情勢のなか、
海上自衛隊も現総理らの「トラウマの再演」に巻き込まれているので、
自衛官に残された道は失踪(=解離性遁走)であることを理解し、
現実的な「安全確保」をしたのち、PTSDに対処せねばなりません。
S先生の臨床知見が有効です。
どうも、お邪魔しました。
皆さまも、お大事に。