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Channel: あ~どうしたものか
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”どうするつもりかねぇ?”

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[感謝]とは何か?
ということですが、人類レベルでは
「あって当然」と思わないこと…それだけではないでしょうか?

具体例を上げますと、
Q:調子は如何ですか?
A:お蔭様で何とかなっています。
…という「お蔭様で」には、
日本人の[宗教心]が表現されています。世間一般(←集合的無意識)に(個人の無意識が)支えられている人的/物的環境&社会環境があって「助かるなぁ」ということです。
①[集合的無意識](← nation )の存在を無視せず、
② “感官のあるJacobiの図” を描いて欧州諸国(nations)、極東の日本国(←孤立的国民 nation )は、無意識の深いところまで掘り下げないと “我々”《人類共同体》メンバー
という集合的無意識に到達できません。一方、アメリカ合衆国は、初めから nation ではありません。なので、米国人が
A:お蔭様で何とかなっています。
という日本語感覚を理解するのは至難の業です。アメリカ人は、
A: I can’t complain.
などと言い、そこには[宗教心]が滲み出る「お蔭様で」のニュアンスはありません。

欧州諸国では、もっと単純に
“grātus”(好ましい)ということで
“gratitude” で、
日本語で言えば、何かあって
「それは良かった!」とか
「良かったね!」とか
「素晴らしい!」とか…
喜び合う場面で、感謝しますね。誰に感謝するかというと、西欧社会では[悟性](←[知性]ではない)で捉えられた「神」という概念があるので、“Gott sei Dank!” などと言う[宗教心]の表現になります。

こうしてみると、米国式(?)の
A: I can’t complain.
だけですね、[宗教心]表現でないものは。

曽野綾子さんの発言は、カトリックとしてはNGです。人は皆、平等ですから。高額納税者が発言権を持ち庶民が誰しも健康保険が使えるから国に感謝せよ…という発想は、宗教とは無関係な話です。

ブログ主さまが宗教を嫌うのは自由ですが、
「お蔭様で」表現に宗教心が滲み出ている日本語の言語現象は(誰の趣味や価値判断とも無関係&独立に)存在します。

米語で
“I can’t complain.” 
と言うか、
「アレは困るので変更したほうが良いと思う」
と言うか…どちらかになります。誰にも[感謝]しない表現は、それくらいしか思いつきません。

長々とお邪魔しました。
https://ameblo.jp/minshushugi/comment-12640681716/detail-13116575132.html


いきなり…立命館大学
中根は,(ゲマインシャフト的な)《共同体》の集合と(ゲゼルシャフト的な)《 ... 《開かれた。社会》はただ一つ,全人間の社会,人類である。

マズいことに[東京]次第です。
♡おまけ♡
①法治主義 ②立憲主義 ③民主主義の徹底を求めるしかありません。
[日本文化]を蔑ろにする[四人組]は困ります。





皆さまも、お大事に。


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