- >あ*さん お褒めいただいた箇所は、ちょっと原文にない言葉を加えたので、翻訳とはしませんでしたが、ほぼ忠実に Ilsetraut Hadot のテキストを訳したものです。彼女の本は、全体に明晰な文章で書かれています。2015/11/18 00:38:20
- 「『教説』は、人間の実存の全体にまで拡張される確信を授けることがその目的である。より詳しく言えば、人がそれにしたがって己の諸々の行動を導くことができ、それに鑑みて自分のしたことが善いことだと確信できる行動原則を与えることが『教説』のなすべきこと」
という説明は、子どもにも理解できる秀逸な表現だと思いました。
いつも、ありがとうございます。
「行動原則を与えることが『教説』」であり、それは「洗脳」ではないのは、「行動原則を与える『教説』」たとえば “caritas”=“the principle of charity” によって、
“Die Gedanken sind frei”
https://youtu.be/cHuSktaQRuE
が徹底して実践できることからも自明です。2015/11/17 10:41:45
に あ*=franoma より
いわゆる「同性愛」に関しては、
当人の「性」は、当人の歴史的身体に依存して決まるものなので、
それで悶着が起きるのは
PTSD現象の一種であると私個人は考えています。
翠雨先生のブログにも、以前、コメント
http://bit.ly/1Rm6X8K
を書きました。
アナルセックスによるレイプ恐怖トラウマPTSDを
「同性愛フォビア」などと誤解しているかぎり
問題は解決しませんね。
先日、他所さまのブログ記事https://ameblo.jp/tousekitetsu/entry-12422907426.html
に19歳だったマリア・シュナイダー(Maria Schneider、本名:Marie Christine Gélin、1952年3月27日 − 2011年2月3日。フランス・パリ出身の女優。父親はフランスの名優ダニエル・ジェラン)が断れない状況で実父の友人ブランドから「バターを使ってアナルセックスをする」ことは隠し、映画として撮影する合意のみでヤって「演技ではない屈辱と怒りを撮る」ことができたことに監督は「罪悪感はあるが後悔はない」そうです。マリア・シュナイダーは、その後、「麻薬依存症や自殺未遂など」に苦しんだそうです。22歳の時に異性愛/同性愛の両方とカミングアウトだそうです。トラウマ満載なのでしょう。監督による「制作プロセスの一環として計画的に行われる蹂躙」に対して師岡カリーマさんは、「芸術的表現と称して神を気取り、カメラの前で無防備な人間の尊厳を痛めつける《自由》を振りかざす有名人の傲慢に、擁護の余地はない。芸術という言葉自体が場違いだ」と尤もな批判を(東京新聞に)お書きでした。
「演技をさせない」ように、本当の「屈辱と怒り」を起こさせる…
これは、スタンフォードの監獄実験を「演技」でヤらせるのではなく、我々を社会的に抹殺する目的でスタンフォード監獄実験パロディを実行した大学人たちの群れと同罪です。女性の悪用CIA方式またはそのサル真似と「ヤさん方式」を巧みに組み合わせて「彼ら」は大成功を収めました。
アフリカでは、男性にもアナルセックスの強姦を敵方の制圧の心理的な武器として活用しているそうですけど、日本と欧州の両方で、夫に対する人権蹂躙を進めて加害者型PTSDに固定したのが統一協会と創価学会です。アフリカの連中は、西洋白人さまと名誉白人になりたい日本人大学人たちがメーリングリストで交流分析を行い、メンバーを手駒に使って、我々一家に総攻撃を展開しました。姪だけヤられないのは、日系男児だけ潰すことが目的だからでしょう。
ですよ、本怖です。
《同性愛》とは何かということについては、何ら偏見のないお子さまに話をすれば「世の中には色んな人がいるんだねえ」♡終♡わ♡り♡( http://bit.ly/1Rm6X8K )となることから、誰かに《こころのケア》が必要になる場合は、そこに偏見つまりPTSDによる認知の歪みがあるから…と推察されます。
それはさておき、《同性愛》と《異性愛》および…その何れでもないという意味で分類不能の《性愛》があるでしょう。ここでいう《性》はジェンダーではなく生物学的に妊娠・出産・授乳をする可能性がある性を、生死を提供する可能性がある性を
とします。それ以外のケースは分類不能の性愛になります。つまり、生物学的な性別がどうあれ、当人の歴史的身体に依存した《愛》のうち、“sexual love” が《性愛》であると言えます。
大人が児童に向けて “sexual love” を抱いてしまうケースは《煩悩》と呼ばれます。ここでいう《煩悩》は英語でもドイツ語でも ”Lust” でしょう。何故、そういうことが起きるかというと「自分がそういう児童の年齢に戻って異性との関係をやり直したい」という熱望を発するようなトラウマが無意識領域に埋め込まれているからです。「それぞれの立場に応じて個々人がそれにふさわしい行動をするための教え」を与えることが「教化」です。
参考:
https://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/93e5b28d4640ad53157f8b4950ee2ffd
「《教説》は、人間の実存の全体にまで拡張される確信を授けることがその目的である」
参照コメント欄:
「『セネカ、精神的教導と哲学の実践』(5)― ストア哲学の二つの部分(2)「教説」」へのコメント
| 内的自己対話-川の畔のささめごと
https://ameblo.jp/kmomoji1010/comment-12096172404/バチカンの男性聖職者が児童に性的虐待にあたる行為をやってしまうのは、対象が女児の場合には「自分がそういう年齢に戻って異性との関係をやり直したい。そうしたら聖職者にはなっていなかった…」という可能性がありますね。対象が男児の場合には、自分が少年だった時に指導的な立場にある男性から性の対象として扱われたのを児童性的虐待として認識しておらず「よいこと」として(負の連鎖と気づかず)踏襲している可能性があるでしょう。後者のようなケースは、日本の武士にも観察される社会現象ですね。今だったら何れも児童性的虐待であり、PTSD現象のひとつとされ、それを否認するPTSD否認は、社会病理のひとつであると考えられるでしょう。
次に、《異性愛》を経て結婚して子どもができてから《同性愛》に気づく場合ですが、それは配偶者とお子さまたちにとっては「びっくり」なので、PTSD発症リスクになります(←良い悪いは関係ない)。それで、PTSD予防が必要になるということは、
翠雨先生のアメブロ記事コメント欄に書いたように、数多あるPTSD予防が必要になる局面の “one of them” ということになるでしょう。
https://ameblo.jp/raingreen/comment-12423172935/
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あ*
仰るとおりです。
「流行があり
負の連鎖するのはPTSDだから
PTSD予防教育すればよい」
…これは、《アスペ》ラベリング、《ADHD》詐欺を含めた《発達障害論》についても
核問題PTSD否認=社会病理についても同じことですよね。
いつも記事をありがとうございます。
2018/12/02 22:48:03
__コメント内容おわり__