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”「広島学院卒の精神科医会」出欠ハガキ通信欄”

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”「広島学院卒の精神科医会」出欠ハガキ通信欄”
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12353717551.html
#広島学院 #高校 #河井克行 #腰巾着
「#あなたが死んでも私は気にしない」#アベ政治
とツイートしておきました。
やはり、晋精会を何とかしませんと、
ニュージーランド青年も「死亡退院」で殺害して国際問題になるでしょう。

広島学院精神科医の会、陸上自衛隊PTSD治療研究者の講演(22歳年下、精神科医歴7年)

文芸社のチラシを送っておいた。 


これで会の世話役と招待講演者の広島学院の後輩は私の本の存在を確実に知るわけだ。

めでたし、めでたし。

義父。

から抜粋:

「まだまだ戦後処理は終わっていない。だって、子孫に戦争トラウマPTSDが連鎖感染し続けているのが、日本の各家庭の現状でしょ?」

…(中略)…

もうさぁ~、太平洋戦争トラウマPTSDの処理していないのに、まだ在るのに、プラス、原発放射能恐怖トラウマが加わってさPTSD発症が爆発的になるのは当たり前なんだなぁ~。


翠雨先生の過去記事

和歌山で
2歳男児が死亡したのは
父親(26)による
暴行のためでした。
不起訴になりましたが
2度も逮捕されており
虐待の恐れがあったので
乳児院で育てられていましたが
虐待の恐れが消えたとして
父親のもとに
戻された
2週間後の
出来事でした。
父親は暴行を否定しています。
何でもかんでも
発達障害として
扱っていたら
目の前にいるのは
PTSDなんだから
対応を間違えます。
そして
母親(23)と
長女(4)や次男(1)は
現場で生活していたのですから
PTSD予防が
必要ですが
そういう発想は
まずないのでしょうね。
3人が
不穏な行動を起こしたら
 ―授業についてゆけないとか
発達障害認定するんでしょうね。
大人の発達障害という
視点も大事だって
京大教授も
まだ
言ってますからね。
$翠雨PTSD予防&治療研究所

あなたは、頑張って自分以外の誰かになろうとしていませんか?

そういうのをヌケガラビトというでしょう。

「適応論」に陥っている状態です。

適応論 site:.ptsd.red - Google 検索

「日本全体が米国の戦利品」状態である理不尽な現状=国際情勢への適応を目指させ、

日本人らしい日本人がセルフに適合すること=日本人の公民権運動に繋がる生き方を抹殺しようと暗躍する「専門家」が跋扈。それが psychological warfare の実際です。


その被害者である母娘…架空の障害である「発達障害」を固定しました。これは、「専門家」による人道上の罪です。

14歳のキミへ

「発達障害」とは、平均値より相対的に小さいということのようです。「昇華を焦る気持ちが病巣」になっている母親が陰陽混乱状態を経た後に「発達障害論」詐欺を受け入れて、ご母堂は自分がヌケガラビトであることを誤魔化せたので「ハッピー」です。

____________

陰陽混乱状態

“incoherent mixture of empath/psychopath” 



好きな方言、ある?


「今日は頭が悪い」と言います。

「明日になれば頭がよくなる」と思える素晴らしい表現です。


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元記事:

3月3日会に先駆け 学院42期生(私は20期生)の「脳科学からみたPTSDの診断と治療」講演 …
____________

誠に失礼ながら

「脳科学からみたPTSDの診断と治療」というタイトルから講演者が「クルクルパア」状態であることが判ります。

 PTSD現象は歴史社会現象ですから、脳科学から見て個人のPTSDを診断できると主張するのは「クルクルパア」です。

 例えば、脳科学から見て「この小説を読むべきか読まざるべきか」判断できると思いますか? そんなことは、歴史的身体の持ち主たる当人の(その場その時の)主体的な想いで決まるものですから脳科学は無関係です。ここで小説という例を上げたのは、茂木健一郎が誰かから「脳科学からすると小説を読むのは無駄なことか」といった質問をされたらしく、「脳科学は、そういうことを判定するものではない」といったような返事をツイートしていたからです(うろ覚え)。「芸術脳」(©︎茂木健一郎)なんて言っていたから、そんな質問をされたのでしょうが、それはさておき。

 「芸術脳」(©︎茂木健一郎)は笑って聞いておけば結構ですが、

ハーマンと大隅典子がタッグを組んで「東洋思想では男女平等にならない」「東洋思想では排外主義に陥る」として日本人らしい日本人を実験動物にする予定であることは、(2001年911と同じことですから)笑えません。


誰であれ「クルクルパア」状態になり得ることに注意が必要です。

「クルクルパア」状態とは、当人が我意を通すと道理が引っ込むPTSD現象です。


使用例:

「北朝鮮」についたコメント | 晴彩のブログ

コメント No. 17

あ*

Re:Re:Re:Re:問題は国家の私物化

>晴彩(はるさい)さん


悪いのは、集合的無意識の無思想を体現しているクルクルパアを厚遇して、野放しにする行為です。


わかりますか?

2018/02/08 11:04:04



なお、翠雨先生のブログに投稿した以下のコメントにても「クルクルパア」表現を使いました。

https://ameblo.jp/raingreen/entry-12353415344.html
を拝読し、
「世間には
自殺に至らなかった生徒も
潜在的にたくさんいて
PTSD発症リスクに苦しんでいます」
ということで(長大になるので)こちらに書きます。

『他人への偽善、隣人への無関心』 | 気まぐれ徒然日記
https://ameblo.jp/niou-blog/entry-12353442410.html
という記事がありました。
 長くなるので、本文は上述のブログ記事をお読みいただくことにして、そのブログ記事を自分の子どもが書いたと仮定して、コメントを書いてみました。

「僕は、見て見ぬ振りが上手くなった」のではサバイバーズギルトを負いますので、再考をお奨めします。
「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀ですから。
…という点がキモです。

コメント内容:
「大人になるって、しばしば”大人しくなる”という風に使われるみたい」ですか?
本来の意味では、「軽率に動かない」ということではないでしょうか?

「及ぶ範囲でしか、手を差し伸べてあげられない」のは当然ですが、
「手を差し伸べる」という表現を使うのは、
いわゆる「メサイア・コンプレックス」で動く状態ではありませんか?
 相手と自分が同じ人間として認め合っている状態であれば、
「どうやって手を差し伸べることができるだろう?」ではなく
「今、私にできることは何だろう?」という問いになるでしょう。すると、「今の自分に介入する余地があるのか?」ということになるわけです。したがって、「今の自分に介入する余地がない」ならば、冷静&理性的に(=「介入」は我意を通すことにしかならないと)判断して、介入を断念します。それができないようでは、「我意を通せば、道理が引っ込む」ことになり、小手川ゆあ( https://bit.ly/2ocIBq3 )『Anne・Freaks』(2000-2002年、「月間少年エース」、角川書店)
https://bit.ly/2CpAxr2
に出てくる女性警視正のようになってしまうでしょう。それが誰であれ、
「我意を通せば、道理が引っ込む」場合、
我意を通す人物は、集合的無意識の無思想を体現しています。なので、第三者から見ると「クルクルパア」なのです。

溺れている人に対して
「今、私にできることは何だろう?」という自問に「自分には介入する力がないので救援を呼ぼう」とならず自分のその時の歴史的身体を活かして「介入する余地がある」という判断であれば、
溺れている相手に手が届くなら抱き上げるとか手を引張って岸に誘導するとか、手が届かないなら救命具を投げてみるとか、惻隠の情で自ら飛び込んで救命を試みるとか…ということになるでしょう。

冒頭で例に上げられたお子さま相手の場合は、
「ちょっとして振り返ると親に怒られてるのが目に入った」わけで、
(1)惻隠の情によって(=無我の境地で)駆け寄り、「不躾で申し訳ありませんが、私の要らぬお節介のせいでしょうか?」と状況を訊ねる。あとは、お子さまが理不尽に無闇に叱られないように、「今、私にできることは何だろう?」と考えつつ対処する。
(2)無我の境地で駆け寄るという行動が取れなかった場合、それとなく近くを通り、本当に自分の要らぬお節介のせいで、お子さまが叱られているのか?…解る範囲で聞き耳をたてる(←相手のプライバシー権の侵害)。
(3)「自分の要らぬお節介のせいで…」なのか否か(相手のプライバシー権の侵害をしつつ)知りたいのは自分の「エゴ」であることを自覚して、起きた現象全体を考察して現象学を進める。
(4)自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生が組み立てられる。

こうした正常なプロセスを経ず「加害恐怖」に陥るケースは、未治療PTSDです。健康な人は、自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生が組み立てられるものです。社会から評価されるか否かは無関係です。成り上がりも成り下がりもしないのが道教の極意です。

「僕は、見て見ぬ振りが上手くなった」のではサバイバーズギルトを負いますので、再考をお奨めします。
「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀ですから。

人間らしい人間(←解離していない全人)が見て心を痛めるしかない状況は、そこにPTSD問題があるからです。素直に考えれば、心をいちいち痛める人がバカなのではなく、心をいちいち痛めることができることは、無垢な心を失っていないだけですから
「大人になれよ」
という勘違いには流れません。

「だからといって、見捨てることもできない」のは、人間らしい人間(←解離していない全人)が見て心を痛めるしかない状況=PTSD現象の最中であることを示しているだけです。心を痛めることがないように「ハッピードラッグ」路線に誘導するのが “Comfortably Numb”(©︎ Pink Floyd)ふうに「無感覚」に持って行く https://bit.ly/DrKyupinParanoia はじめ晋精会 https://bit.ly/ShinseikaiT4 の皆さま&晋精会を批判なさらない https://bit.ly/DSMfaction 「発達障害論」詐欺の神田橋医師らや「愛着障害」詐欺の飛鳥井望、「アスペ」にオキシトシンの笠井清登教授らを含め東京大学の精神科医だけでなく心理系や薬学系も巻き込んだ
https://bit.ly/menuForJap
です。

ヒトが出てくる現象学は必然的にPTSD現象学になります。
 「見ると心が痛むことはたくさんある」のがPTSDの世紀である事実を共有して、
自分の平生底を崩すことなく現象学を進めるプロセスで
“introspection”
“extrospection”
が車の両輪のように働いて、自分の歴史的身体が形成されて、かけがえのない当人の人生を組み立てるなかで、
世界人権宣言に則り、
「誰の子どもも殺させない」ために、
「今、私にできることは何だろう?」と自問しつつ最期の日までサバイバルしましょう。皆が平穏死を迎えられるように。
___コメント内容おわり___

なお、
全人類に人格権を(←世界人権宣言)ブログは、
http://franoma.jugem.jp/
「https://…」でないと気持ち悪い人は、以下のリンクからどうぞ。
https://franoma.jugem.jp/
平穏死ブログは、
https://blog.goo.ne.jp/franoma/
に書いています。

“Comfortably Numb”(©︎ Pink Floyd)ではなく、“Comfortably” ではない “Numb”(©︎ Linkin Park)を表現された方は、自ら “death by hanging” を “acting out” =「解離はトラウマの影」ということで(他害ではなく)自害=PTSD解離自殺なさってしまいました。「うつ病」ラベリングでなければ、そういう悲劇は予防できたので、
https://bit.ly/NishibeSusumuSuicide
を機に「うつ病」ラベリング復活を狙っている人々は、香山リカ立教大学教授はじめ「害悪心理学」に陥っています。
「見捨てることもできない」という口実で攻撃してくる「なんちゃって専門家」をブロックし、見放すことが不可欠です。




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